3B 都合が悪くなると連絡を絶って卑怯な手段をとる(2)

  

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3B 都合が悪くなると連絡を絶って卑怯な手段をとる(2)

2022年2月7日 柏崎 正憲


アッシュの取り巻きによる友人への侮辱

その一方で友人は、しばらくはアッシュとの会話を続けようと試みたようです。自分の意向を理解してもらうために。

しかし、アッシュは友人の電話にも応答しなくなりました。

友人を丸め込むことができないと分かったからでしょう。


そのかわりに、友人と面識のあるアッシュの取り巻きたちが、次々と友人に電話をかけ、友人をとがめるようになりました。

アッシュの仲間の映像作家や、映画『牛久』の出資者などです。

そのせいで友人は精神的均衡を大きく乱されます。


もとより友人には、長期収容から解放されて一年たっても、軽いうつのような自覚症状がありました(だれもが長期収容後は程度の差はあれPDSDぎみになります)。

将来の生活への不安やいくつかの持病も、不安を持続させます。

そんな精神状態であった友人に、アッシュの取り巻きからの執ような電話は、耐えがたい精神的重圧でした。


昨年5月17日付で、友人は手紙をウェブに公開しました(母語スペイン語で書いて知人に翻訳させたもの、それを柏崎が支援ブログにアップロード)。

その手紙には、昨年1月17日以降、自分の隠し撮りを支援者にも見せて相談したいと何度も要望したこと、それをアッシュに無視されたこと、アッシュが最近では自分との会話を避けていること等が書かれていました。


しかし5月23日付で、友人はそれを別の手紙に差し替えます。

その理由は、差し替え後の手紙にはっきり書いてあります。

「多くの人々から、私を侮辱する電話を受けました。私たちが違う方法をとるからと言って。」

「あの『牛久』という映画については話したくありません。」

「誰もが尊重されるに値します。……私も、無益に消耗された精神的健康のために、尊重を受けることを求めます。」


かれ自身が表現するとおり、友人はアッシュの取り巻きによって侮辱されたのです。

かれはそれを終わりにしたくて、上の5月17日付の手紙をウェブから削除しました。しかしそれは、書かれている内容を撤回したことを意味しません

「私の手紙は削除します。とはいえ、それはなお、私の感じていることなのです。」


友人との電話をこっそり録音していたアッシュ

さらには5月30日、アッシュはわたしに、二つの音声ファイルを説明なしにEメールで送りつけてきました。

一つは、わたしが5月14日にアッシュの電話に残したメッセージです。

わたしになにか揺さぶりをかけたいだろうと、なんとなく意図は推測できましたが、そのメッセージの意図は上述のとおりであり、それをアッシュが音声ファイルで送り返したからといって、どうということはありません。


しかし、もう一つの音声メッセージには、あらためて怒りがわきました。

それは友人とアッシュとの通話の録音です。

いつのものかはっきりわかりませんが、わたしがアッシュに電話をかけた後、かれがかけ返すまえに友人と通話したときのものでしょう。


たぶん、それは友人が映画出演に同意した証拠だといいたかったのだと思います。

しかし、会話や音声の途切れ方が不自然だったので、編集された音声だとわたしは気づきました。

おそらく通話の録音自体、会話の相手である友人には伝えず、こっそり録ったのでしょう。

さらにはそれを、さも自分にとって都合のよい会話をしているかのように、編集したのでしょう。

だからわたしは、この録音を聞いてもまったく見解は変わりませんでしたが、あらためてアッシュに怒りがわいたのです。


沈黙を強いられた友人

しかし上述のとおり、すでに当事者である友人は、アッシュの仲間たちの執ような侮辱に耐えられなくなっていました。

6月1日付で、友人はあらためて手紙を作成し、ブログに公開します。

趣旨は5月23日付の手紙と同じです。もう映画にたいして要求をしないかわりに、アッシュとの関わりを断つという宣言です。

ただしその手紙は、柏崎を含む三人の立ち会いのもとで作成されました。

(なお、その一人はアッシュの映画を擁護する映像作家です。この人物は、友人の手紙の意味が何なのかを本人からよく聞いたはずなのに、その後も、アッシュの言い分が正しいということを吹聴しつづけたようです。)


こういう事情のため、わたしも、友人の映像削除の要求はこれ以上追及しないことにし、また事実の公表についてもいったん保留にすることにしました。

もちろんためらいはあったし、友人の判断はかれにとって逆効果ではないかとも思いましたが、この騒ぎが続くこと自体が耐えがたいというかれの意向を尊重しました。


さて読者のみなさん、これを「同意」と呼ぶべきでしょうか

わたしは、友人は沈黙を強いられたというのが正しいと思います。

というより、利害に心を囚われてる人でなければ、誰でもそういうのではないでしょうか。

よかったですね、トマス・アッシュさん。あなたの取り巻きが出演者を精神的に追い込んでくれたおかげで、面倒くさい追及がなくなって。


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