5 映画の手法にかんする見解

 

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5 映画の手法にかんする見解

2022年2月7日 柏崎 正憲


入管収容者との面会を隠し撮りして映画に組み込むという手法について、当初、支援者のあいだで公然と積極擁護する者がいなかったことは、記事3Aで述べました。

このことと、わたしの見解とについて、すこし補足します。


支援者が入管面会隠し撮りに批判的である理由

アッシュの映画『牛久』のトレーラー公開後、まず支援者たちが懸念したのは、出演者のリスクでした。

ねんのため、アッシュが牛久入管の規則に違反したこと(無許可の庁内ビデオ撮影は庁舎管理規則違反)それ自体を問題にした人は、わたしが知るかぎりはいません。

アッシュ本人は、この件により、二度と牛久入管での面会申請は許可されないでしょうし、他の入管収容施設でもたぶん同じ対応をとるでしょうけど、その程度のリスクです(そもそもアッシュがそんなことを試みる気はないでしょうけど)。


しかし映画に出演した元収容者はどうか。

かれらは法律上は、仮放免許可により収容を免除されるという立場であり、入管の裁量により、入管はいつでもかれらを再収容できます

しかも、再収容の理由を告げることすらなしに

とんでもない人権侵害です。しかし、現にそういうことをおこなってきたのが入管。

2019年夏、命がけのハンガーストライキで牛久入管から仮放免を得た人々がみな、たった二週間で再収容されたことは、まだ最近の話です。

2021年11月には、消化器を悪くし、コロナ後遺症や骨折、心因性とみられる嘔吐と栄養不足もあるのに、東京入管によりたった二週間での再収容をくらった人もいます。


だから、入管収容者や仮放免者の事情を分かっている人で、あの隠し撮りが公開されているのを見て、懸念をもたない人はいません。

たしかに、映画のトレーラー公開から8か月ほどたったものの、いまのところ出演者が入管から不利な扱いを受けたという話はきいていません。

しかしそれは結果論でしかなく(しかも確定的な結果とはいえない)、当初は、このことが出演者に深刻な危険をもたらさないとは誰にもいえなかったのです。

だから当然、アッシュは不信をもたれました。

このトマス・アッシュという映像作家は、入管収容者や仮放免者の立場を知りながら、なぜこんな危険なことができるのかと。

自分の目的のために他人をかえりみない利己主義者ではないかと。


ただし、出演者の意向をどう考えるかについては、反応はまちまちだったように記憶しています。

出演者の意向にかかわらずあの映画は論外という見解もあれば、当時者が同意しているかぎり異論はあっても口出しをする立場ではないという見解もありました。

わたしも、どちらかといえば後者でした。


ところが現実には、このブログで説明してきたように、出演者の一人にたいしてとんでもない裏切りをはたらいたうえで、アッシュは映画を公開したのです。

そのあまりに卑怯で汚いやりかたを知ったいま、わたしはかつて無知ゆえにアッシュを信用してしまったことを深く恥じています。


柏崎の見解

入管収容者の面会の隠し撮りについて、わたし自身の見解を述べます。

隠し撮りという手法自体については、賛成でも反対でもありません。

もしかりに、隠し撮りによってしか告発できない問題があったとすれば、それをする理由もあるでしょう。

まさに面会の場面で、収容者が入管職員にひどい人権侵害を受けた、とか。


しかし、アッシュの映画は、ただ面会での会話のようすを流しているだけのようです。

出演者はみな仮放免されているので、外でじっくり証言を撮影する時間は、いくらでもあったでしょう。

面会の場面でなければいけない必然性がまったく認められません

まあ、アッシュにとっては必然性があるのでしょう。

入管収容者との面会の風景をほとんどの人は知らないから、それだけで物珍しく、ショッキングに見せる効果があるのでしょう。

それに、権力に抵抗するドキュメント作家という自己演出も狙っているのかもしれません。

しかしそれは、利己的な映像作家アッシュにとっての必然性であって、当事者を支援したいと心から望む人にとっての必然性ではないとわたしは考えます。


他方で出演者たちとっては、上述のような軽視できないリスクがあります。

まっとうな支援者であれば(というのは、まっとうでない人もときにいるので)、わざわざ当事者に不必要なリスクを生じさせることを選んでおこなったりはしないでしょう。

だから、もし昨年、映画『牛久』のトレーラー公開前に、友人がアッシュの対応をまたず、このことをわたしに相談していれば、まちがいなくわたしは隠し撮り映像の公開に反対したでしょう。


映像公開に同意した出演者の勇気には、敬意を表します。

しかし同時にわたしは、アッシュに勇敢さなどまったくなく、負う必要のない大きなリスクを出演者に負わせて、利己的な目的を貫いたにすぎないと、言い加えないわけにはいきません。


アッシュの撮影手法にかんする付言

ついでながら、2019年末ごろ、アッシュは一度、隠し撮り用カメラの持ち込みが牛久入管にバレて、数か月間、面会禁止になっています。

そのことをわたしは、2020年はじめに本人から聞きました。

だから柏崎も自分が隠し撮りをしたことは知っていただろう? と、アッシュは昨年5月15日のわたし宛てのEメールに書いていました。


いえいえ、わたしが知っているのは、それだけではありません。

そのあとアッシュが、ごめんなさい、許してください、もうしませんと詫び状を牛久入管に提出し、それからしばらくたってようやく面会禁止を解かれたことも知っています。

そうやって入管にたいして卑屈に降伏したやつが、またこりずに隠し撮りを続けているなんて、誰も思わないでしょう?

しかもその後、そのつど牛久入管にお伺いを立てて、建物の外(ただし敷地内)で撮影することにも、アッシュはお許しを得ていたようです。


それほどにも入管にたいして卑屈に、従順にふるまいながら、アッシュは隠し撮りを続けていたのです。

入管には別に同情しませんが、アッシュは自分のことが恥ずかしくならないのか? と、わたしには疑問です。

まあ、アッシュは他人にどれほど筋のとおらないことをしても、心が痛まないのでしょう。

しかしそれが、運動のためとか、大義のためだとかは言わせません。

自分の映像作品で成功したいという、かれの利己心と虚栄心のためでしかないことは、アッシュの行動がよく示していると、わたしは考えています。