映画『牛久』配給会社の「経緯説明②」についてのコメント


ブログ「入管収容所のドキュメンタリー映画は何が問題か」

2月9日の配給会社「説明」は肝心なことを説明していません。


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映画『牛久』配給会社の「経緯説明②」についてのコメント

2022年2月12日 柏崎 正憲


映画配給会社うずまさが「映画『牛久』劇場公開への経緯説明②」と題した文書をウェブ上に公開しました。

文書には日付すらついていません(同社のツイッターでの公開日は2月9日となっていますが)。

しかも、なぜ新たに「経緯説明」を発表したのかすら説明されていません


まあ、このブログへの反論なのは分かり切っています。

でもそのわりには、いちばん肝心なことについては語っていませんし、反論として成立しているようには読めません。


くりかえしになりますが、わたし柏崎は、この映画にたいしては(昨年6月以降は)何も要求していません。

しかし映画監督アッシュや配給会社うずまさが、嘘や歪曲された話を吹聴することだけは、我慢できないのです。

ですので、上記の「説明②」にたいしても、それが引き起こすかもしれない歪曲や誤解をただすという目的のため、コメントを出します。

今回、わたしが指摘したいことは四つです。


1 トレーラー公開前の四か月は空白のまま

配給会社「説明②」は、2020年10月19日、アッシュが隠し撮り映像を友人に見せ、友人から同意書への署名をもらったと伝えています(ちなみに隠し撮り映像の断片を2020年中に友人が見せられていたことは柏崎も知っています)。

ところが、次の説明は、アッシュが友人に「メッセージ」を送り返事をもらったという2021年4月29日にまで、一気に飛びます(メッセージとはEメールかSNSのメッセージでしょう)。


ところが問題の核心にかかわるのは、この「説明②」が空白のままにしている期間です。

つまり2021年1月17日からトレーラー公開の5月11日までの約四か月のあいだに何があったかです。


わたしが知っているかぎりのことは、すでに書きました。

1月17日、友人は編集中の映像を見るため友人に会いましたが、そのときに友人はアッシュに、映像を弁護士や支援者に見せて相談してから隠し撮りの公開を決めたいと、要望を伝えました。

その後も友人は何度か、要求に対応してほしいとアッシュに催促しています。

しかしアッシュはそれを5月11日のトレーラー公開まで無視しつづけ、そのまま友人の隠し撮り映像を使用したのです(「1 出演者の意向を無視」を参照)。


このことにより、友人はもちろんのこと、わたし自身もまたアッシュに裏切られました。

つまりアッシュは、支援者に情報を提供されるなど便宜を受けておきながら、隠し撮りを使うという彼のアイデアは、支援者にたいして意図的に隠し続けていたのです(「2 支援者から事実を隠蔽 」を参照)。


このことについて配給会社「説明②」は何も説明していませんね。わたしにとっては予想どおりですが。


2 「同意」の意味のすりかえ

あくまで友人は、2020年10月、映画の出演に同意しただけです。

その第一段階の同意だけで、自分の映像がどう編集され、どんな形で公開されるのか、交渉する余地をまったく奪われるなんて、ふつう思わないでしょう。

あるいはもしかしたら、2020年10月にアッシュが友人からとった「同意書」には「映像をどう編集し公開するかはアッシュに全権委任する」とでも書いてあったのでしょうか?

もしそうだとしても、すでに書いたとおり、友人は「同意書」の写しをアッシュから受け取っていないので、確かめようがないのです(「1 出演者の意向を無視」を参照)。

まさかそこまで卑怯な「同意書」ではなかっただろうと思いたいですが……。


このことにかかわらず、2021年1月17日の友人の申し出は、当然の要求であり、無視されるべきではありませんでした。隠し撮りの公開については、弁護士や支援者と相談してから決めたいという要望のことです。

そもそも被写体である友人には肖像権があります。

それに、もし隠し撮りの公開のせいで入管から不利益を受けるとすれば、そのリスクはアッシュよりもはるかに友人にあります(「5 映画の手法にかんする見解」も参照)。


しかも、当時まだ映像は編集段階で、現にトレーラー公開は四か月も先だったのです。

だから、友人は無茶なタイミングで要望を出したわけではないし、アッシュには対応する時間がじゅうぶんにあったはず。


それなのに、どうしてアッシュはそれを無視したのか?

2020年10月の「同意書」さえあれば、あとで友人がアッシュの気にくわない要望をしたとしても無視できると考えていたのでしょうか。

アッシュがどう考えていたかは知りませんが、彼が現にとった行動は、映画出演へそれ自体への「同意」(2020年10月の「同意書」)を盾にとって、その後の友人の要望を無効なものとして扱った、としか言い表せません。

ひとことで言えば「同意」の意味のすりかえです。


しかもアッシュは2021年5月11日のトレーラー公開後、問題を知った柏崎から、当初は穏やかな要望、ついで厳しい追及を受けると、柏崎とも友人とも会話を避けるようになり、かわりにアッシュの仲間が友人を責めるようになります。

そのせいで多大なストレスを受け、耐えられなくなった友人は、5月24日および6月1日にウェブ上で、映画の出演に「同意」するがもうこの件で誰とも話したくないと、つまり映画を黙認するかわりに映画との関わりを断ちたいという意志を、表明したのです(記事「3A」「3B」を参照)。


以上の、昨年5月11日から同月末までに起きたことについても、配給会社「説明②」は何も説明していないですよね。

アッシュから何も聞いていないのか、知っていて何もいわないのか。前者ならあまりに無責任、後者ならあまりに卑怯です。


3 他人のコメントを都合よく編集する

2021年6月以降、アッシュが友人にSNSで連絡をよこすようになったことも、柏崎は知っています。

友人が黙認を表明したから、安心したのでしょう。


アッシュから連絡がくることについて、柏崎は友人に何も言いませんが(彼は一人のおとなですから)、でも友人からはいろいろなことを聞いています。

配給会社「説明②」の書き方はアンフェアなので、一つだけ、友人から聞いたことを書きますね。


ことし1月、友人は、アッシュから映画の上映について、SNSで連絡をもらったそうです。

友人の映画にたいする態度は2021年5月末の声明から変わっていないので、その旨、かれは返答したようですが、そのついでに友人はアッシュに重要なことを尋ねたそうです。

2020年10月の「同意書」の写しをまだ受け取っていないが、それはいつくれるのか? と。

しかしアッシュは、会って話そうとか何とか、はぐらかすような返答をするだけだったそうです。

友人はアッシュと会って話したくはなかったので、それは断ったとのこと。


ところで上記の配給会社「説明②」には、今年1月27日にアッシュが「プロフィールテキストをメッセージで」送ったところ、友人から「内容は大丈夫です」と返事があったと書いてあります。

それってきっと、わたしが友人から聞いた上記の話のことなのかな?

もしそうだとすれば、友人が「同意書の写しはどうなった」と尋ね返してきたことを、隠していますよね? 

相変わらず自分に不都合なことは書かないんだなあ、トマス・アッシュ監督も、配給会社うずまさも。


アッシュがこういうことをする人なのは、よーーーーくわかっています。

すでに書いたことですが、昨年5月13日、わたしがアッシュに事情を尋ねる電話をかけたあと、わたしに電話をかけ返すまえに、アッシュは友人に電話をして、会話を勝手に録音していたのでした。

さらに後日、その録音をアッシュは(脅しになると思ったのか)柏崎にEメールで送りつけてきたのです。しかも恐らく編集して、アッシュにとって都合のいい会話に聞こえるように(記事「3A」「3B」を参照)。


あれ、ドキュメンタリー映像作家って、真実を伝えたり、誰かさんがかっこよく言っているみたいに「聴きとりづらい声を聴く」ために作品を作っているんじゃないですっけ?

それなのに、勝手に他人との会話を録音して、自分の利益のためだけに編集する、なんていうことをしちゃうの?

そして、そんなトマス・アッシュ監督をかばう、一部のお仲間のドキュメンタリー映像作家たち。

かれらも同類なのかな? と、素人としては思ってしまいます。


4 配給会社太秦(うずまさ)は言葉に責任をもたない

配給会社にも一言だけ。

たしか最初の「経緯説明」(1月21日)では、こう書いていましたよね(前のURLが消えているから、わたしがDLしたものを貼ります)。


「映画制作時及びその過程において、出演者全員が映画出演に同意していることをあらためて確認をいたしました」

ここで話題にしているのは、最終的に友人が(映画との関わりを断つため映画そのものは黙認するという趣旨で)「同意する」とウェブで意志表明した件ではないですよね?

わざわざ「その過程において」と書いているのは、つまり、友人とアッシュのあいだで隠し撮りの公開について議論すら生じたことはなかったと、うずまさはそう信じていると、そうおっしゃりたいんですよね?

わたしの知るかぎり、それは嘘なのですが。


うずまさが上のように確信しているならば、今月9日の「経緯説明②」でも、アッシュからの説明を新たに書き足すのではなくて、自分たちが信じていることを、自分たちの言葉で、根拠を示しながら、きちんと説明すればよかったのではないでしょうか。

それができないのなら、1月21日の「出演者全員が映画出演に同意していることをあらためて確認をいたしました」という宣言は、中身のないハッタリだったのでしょう。


おわりに

映画監督アッシュも配給会社うずまさも、わたしの説明にたいして、まともな反論では返してくれません。

わたしには予想どおりでしたが。

どっちみち映画は上演するのでしょうけど、これ以上、嘘や事実の歪曲を吹聴することだけはやめてほしいものです。


映画を観にいく人にたいしても、わたしは何もいう気はありません。

ただし、この映画の制作過程において、このブログで説明してきたような問題があったことを卑怯なやりかたで否定したり偽ったりする人にたいしては、わたしは沈黙しません。

くわえて、こういう問題があったことを知りながら、あたかも問題がなかったかのように映画を公然と称賛する人にたいしても、わたしは黙りません。とくにそれが著名人であれば。

まあ著名人にとっては、わたしのような弱小の活動家が騒ごうがわめこうが、たいした問題ではないでしょうけど。

でもそういう人は、トマス・アッシュのような卑怯な手段をとる人と自分は同類なのだと、みずからの行動によって証明しているといえるでしょう。


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