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4 歪曲ばかりのアッシュ声明
2022年2月7日 柏崎 正憲
① 映画『牛久』ウェブサイト内「ステートメント」に掲載の、昨年6月9日付声明(1頁、2頁)で、アッシュはこう述べました。
わたしの友人が「6月1日、ホームぺージ上で、声明を出し、映画への出演に同意していることを、改めて表明してくれました」と(1頁)。
これについての事実は、記事3で説明したとおりですから、記事3Bの最後の文をそのままくりかえします。
「さて読者のみなさん、これを「同意」と呼ぶべきでしょうか?」
「わたしは、友人は沈黙を強いられたというのが正しいと思います。」
② アッシュはこう書きました。
「私はAさん本人からも彼の弁護士からも、映像の削除や『牛久』の上映中止を求める連絡は受けていません」(声明1頁)。
Aさんとは本ブログでいう「友人」のことですが、これは嘘です。
記事3Bで述べたとおり、友人の電話をアッシュが避け、そのかわりに、取り巻きが友人に侮辱の電話を執ようにかけるようになったのです。
それと念のため、やはり記事3のとおり、友人の支援者であるわたし柏崎が、友人の隠し撮り映像を映画から削除することを、はっきり要求しました。
③ アッシュはこう書きました。
「〔昨年〕4月29日 Aさんと私はこれまでも頻繁に連絡を取り合ってきたが、この日もAさんに、ポスターや予告編の出演部分の確認をした。Aさんはこれを、喜んでくれた」(声明1頁)。
まず、友人が「喜んでくれた」うんぬんはアッシュの主観なので問題になりません。これ以降も同様。
この日までに何度もアッシュが友人と「連絡を取り合ってきた」ことは事実でしょう。
しかし肝心なのは、次の問題です。
昨年1月17日以降の4か月間、友人は何度も、隠し撮り映像を支援者にも見せて意見を求めたいとアッシュに申し出たと言っているが、そのことが事実かどうか。
この問いを、わたし柏崎は当初、アッシュに個人的に投げかけましたが、かれは最後まで回答を避けつづけました(記事3Aで説明したとおり)。
そして声明でも、このことについては触れません。
この問いに答えられないかぎり、映像公開までにアッシュが何度、友人と「連絡を取り合ってきた」としても、アッシュの主張には中身がないのです。
④ アッシュはこう書きました。
「5月13日(昼) Aさんは私に「収容者がどういう状況におかれているのか、映画を通じて知らせたいという気持ちに変わりはない」と、電話で話した」(声明1頁)。
そういう話を友人がしてもおかしくはありません。
もともとアッシュの映画に出演すること自体には、友人は同意していたのですから。
そのうえで、隠し撮り映像の公開については他の支援者に意見を求めたいという要望を、トレーラー公開の4か月も前に表明していたのに、それをアッシュが無視したことを問題にしているのです。
上の発言をアッシュが引用したのは、自分に都合よく見せられる発言を切り取っただけでしょうが、この発言だけではアッシュの正しさは少しも証明されません。
なお、ここで「5月13日(昼)」と書いてあるのは、おそらく不正確です。
この日、わたしが夕方にアッシュに電話をかけたけど応答せず、約一時間後の19時ごろにアッシュがかけ返してきましたが、そのあいだにアッシュは友人に電話をかけ、映画に同意したと柏崎に伝えるよう迫っていたのです(記事3Aを参照)。
このときの電話のことを、上の「5月13日(昼)」は指していると思われます。
そして後日、友人とアッシュとの通話のおそらく編集された音声を、アッシュはわたしにメールで送りつけました(記事3Bを参照)。
つまり、アッシュは昨年5月13日、柏崎からの着信を確認したあと、柏崎の追及をかわすためまず友人に電話し、しかもこっそり通話を録音しながら、同意したと柏崎に伝えるよう友人に迫り、そのうえで録音を自分に都合のいいように編集し、さらにはそこから都合よく見える発言を切り取って声明に引用したのではないかと思われます。
⑤ アッシュはこう書きました。
「5月13日(夜) Aさんの支援者から「トーマスさんからの電話にはしばらく答えない方が安全だと、Aさんに伝えてある」とのメッセージを受け取った。そのメッセージを受け取って以降、私はAさんへの連絡を試み続けたが、今に至るまで、Aさんとは連絡がとれていない状態である」(声明1頁)。
嘘もいい加減にしろといいたい。
実際には、友人は昨年5月13日よりあとにもアッシュに電話をしました。
ところがアッシュは応答しなくなり、かわりにアッシュの取り巻きが友人に電話をかけ、かれに屈辱を感じさせる言葉を投げかけるようになったのです。
5月13日以降、友人との話を避けるようになったのはアッシュだということは、5月17日付の友人の手紙で述べられていました。
その手紙を、アッシュの取り巻きの執ような電話が与える精神的苦痛のせいで、友人は公開停止しますが、そのかわりに公開した5月23日付の手紙では、アッシュのかわりにかれの取り巻きが執ように電話をかけてくるようになったことを、友人は述べています(記事3Bを参照)。
したがって、まずアッシュが友人にたいして連絡を絶ったのであって、友人がアッシュとの関係を断つことに決めたのは、そのようなアッシュの不誠実きわまりない態度を見たあとのことです。
アッシュは友人や柏崎の追及から逃げ隠れ、そのかわりにかれの仲間を操って、友人に精神的圧迫をかけた、というのが真相に近い説明でしょう。
そして、わたしが友人に、アッシュからの電話には「電話にはしばらく答えない方が安全だ」と助言したのが、いつ、どういう理由でなのかは、記事3Aで説明したとおりです。つまり、アッシュが柏崎からの追及をかわすために友人を操ろうとしていたと知ったからです。
⑥ アッシュはこう書きました。
昨年6月1日付の友人の声明について 「“Aさんが同意をしていないのに映画を公開した”という事実に反する評判が立ち、映画の公表に支障をきたしていることにAさんが心を痛め、上記の表明をしてくれたのではないかと思っています」(声明1頁)。
よくもまあここまで自分に都合のよい曲解を臆面もなく表明できるものだと、呆れを通り越して感心します。
アッシュはキリスト教の信仰に篤いようですが、神に恥じる気持ちは湧かないのでしょうか(わたしは無神論者なのでどうでもいいですが)。
友人がどんな意図で、どれほどの苦しさと失望と悔しさのなかで、あれらの手紙を公表したのか。
それは記事3Bで説明したとおりなので、わざわざくりかえす必要もないでしょう。
⑦ アッシュはこう書きました。
「私はAさんが世間の注目を浴びて、ストレスを抱えることには、加担したくなかったので......」(声明2頁)。
どの口がいうか。
5月13日の電話のあと、アッシュは友人と話すことを避け、そのかわりにかれの取り巻きが友人を執ように責めたのです。
アッシュが仲間をそう仕向けたとしか考えられません。
友人に「ストレス」を与えた張本人は、トマス・アッシュ、あなたです。
ちなみに、わたし柏崎や、わたしの活動仲間も、アッシュの仲間や盲目的な支持者と思われる面識のない人物たちに、SNSで誹謗中傷されました。
まったく根拠のないデマや言いがかりを色々と書かれました。
それも、アッシュやかれの近しい仲間が仕向けたのでしょう。
しかしながら、アッシュやかれの取り巻きが、歪曲やおかしな操作をされていない首尾一貫した事実を説明したことなどありません。
まっとうな理解力があり利害関心に目が曇っていない人なら、このブログでわたしが説明したことと、アッシュが述べ立てていることを比べて、筋が通った話をしているのはどちらか悩むことはないでしょう。
結語
映画はどうぞ勝手に上映してください。
隠し撮り映像を含めて公開に同意した別の出演者たちには、もとより何もいう気がありません。
しかしながら、トマス・アッシュ、映画の配給会社うずまさ、そしてアッシュの取り巻きたちが、嘘を吹聴することだけは黙って見ていられないのです。
そして読者にはあらためて警告します。
もしも今後、トマス・アッシュという映像作家に取材を申し込まれたら、あなたは警戒すべきです、というより断るべきです。
かれは自分の利益のために、他人を平気でだます嘘つきなのですから。
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